畿内か? 北部九州か? 邪馬台国の場所をめぐる喧々諤々の論争は100年も続いてきた。しかしいまだに決着をみないのは「魏志倭人伝」の重要な記述を見落としてきたからだ。それは、「邪馬台国の時代は戦乱の時代だった!」ということだ。戦乱の時代ならば「地の利」を得た場所に都を置いたはず。これまでのように、平面の地図だけしか使わない議論では真実は見えてこない。地形こそが重要なのだ。そう考えて地図を開き、考古学資料とあわせてみれば、北部九州・ヤマト・出雲・吉備がうごめく古代の「鉄争奪戦」が見えてくる。さらにヤマト勃興の謎を解くカギも、改竄された『日本書紀』の記述の真実までもが浮かびあがってくる。そしてついに、邪馬台国の意外な実態が明らかにされる! 卑弥呼はトヨに殺された!?
![[図解]「邪馬台国」の謎を解く](https://stat.dokusho-ojikan.jp/b1bbdca8-e53f-4e2f-9af5-ceebc7985457.jpg?dh=338&dw=236&jpeghint=y&q=70)