情報技術の発達とともに、だれもが手軽に
「つながり」を得られる時代になった。
スマートフォンの画面を覗いてみれば、
一人ひとりがいまなにをしていて、
なにを考えているのかが、
いままで以上に見えるようになった。
遠く離れていても、
時間をともにしていなくても、
言葉を伝えることもできるようになった。
だが、いつでもどこでも
他者との「つながり」を
感じられるはずの時代に、
私たちは他者とつながれなくなった。
つながりすぎるせいで、
相容れない部分ばかりが見え、
つながりながら訣別し切断する。
「もっとお互いをよく知るべきだ」──
だれかが訳知り顔で言う。
そうではない。
お互いの理解が足りないせいではなく、
お互いのことをよく理解したから、
私たちは分断されたのである。
「分断」された私たちの間に、
橋を架けることはできるのだろうか。
現代社会の歪みを象徴する出来事から紐解く
御田寺圭、最新論考。