独立労働党の役割、内政指導を中心に読み解く。
1893年に成立した独立労働党が社会主義的規約・目的を採用したにもかかわらず、同党のイニシャティヴによって1900年に母体ができ、1906年に成立した労働党の規約目的にすることができなかった理由を探る。労働との設立当初の歴史を洗い出す。
また、キャンベル・バナマン内閣とアスキス内閣の政治指導を問う。前者は。いわゆる「福祉国家」を指向する急進主義をその政治方針として、政治的対抗勢力と社会の各層を把握しようとする。しかし、当時、ドイツが海軍力を急速に増大したことを受けて、情勢は「イギリス帝国主義」を求め、国内状況は流動的になる。
その後をうけたアスキス内閣は、イギリスの「安全」を訴え、「自由帝国主義」をその政治方針とせざるをえなくなる。
当時の政治状況を丁寧に跡づける労作である。
【目次】
まえがき
第一部 独立労働党の政治指導
第一章 労働者大衆の困窮
第二章 独立労働党の性格
第三章 「労働同盟」の実現
終章 独立労働党と労働党との関係
第二部 キャンベル・バナマン内閣とアスキス内閣の政治指導
第一章 急進主義と一九〇六年の総選挙
第一節 基本方針
第二節 一九〇六年の総選挙における自由党の勝利
第二章 急進主義による政治的労働者運動の操作
第一節 政治的労働者運動の「先取り」戦術
第二節 労働党政策の「骨抜き」戦術
第三章 急進主義と帝国主義との交錯
第一節 急進主義の動揺
第二節 急進主義の建て直しとそれによる封建勢力の操作
第三節 自由帝国主義とそれによる封建勢力の把握
第四章 自由帝国主義と反政府運動
第一節 反政府運動の噴出
第二節 アイルランド統合の失敗
むすび
事項索引・人名索引
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