なつかしいのは、根源的に、見定めようとしていた対象が次第に茫漠となり、やがて世界の中に消失してしまうからである。
「世界」の側にいる私たちに、その現象が「なつかしい」と感じられるのだ――。
近代になって多くの「江戸」は失われた。しかし、すべてが跡形もなくなくなったわけではない。
倫理や思想を巻き込んで展開する文学の場合、前代の思想や倫理が一気に消去されることはない。新来の西洋の思想や倫理と拮抗しながら生き続ける。
本書は、江戸時代の思想や倫理と近代の文学のつながりを、トリヴィアルで断片的な事柄から解き、広い場に引き上げ、それらの特徴を確認したり、新たに見出したりしようとする。
江戸思想はどう転位し、近代文学に流れ込んでいるのか。たとえば、太宰春台の時代には当たり前だった言葉は、賢治の時代には驚異に感じられたことなどである。
【近代になって多くの「江戸」は失われた。しかし、すべてが跡形もなくなくなったわけではない。一般的に思想や倫理は、それに代わるものが出て来ないかぎり簡単にはなくならない。だから、倫理や思想を巻き込んで展開する文学の場合、前代の思想や倫理が一気に消去されることはない。新来の西洋の思想や倫理と拮抗しながら生き続ける。
しかし、江戸時代の思想や倫理と近代の文学を何の媒介もなしに連結することは可能だろうか。それが可能であるためには、膨大な量の作品と研究成果の蓄積を一度かっこに入れ、断片と摘要を旨として考えてみる必要がある。なぜなら、これは総括へ向かってのまったく初心の出発だからである。】......「第一章 江戸思想の転位」より