一九二〇年代から三〇年代、大阪市は「大大阪」と呼ばれ、人口で東京を抜き、日本最大の都市として存在感を際立たせていた。しかし、大大阪は、中央の東京に対抗することで、むしろ独自性を喪失していく――。本書は、大衆社会におけるラジオ、吉本興業、職業野球、宝塚歌劇など多様な切り口を通じて、その軌跡を追う。「大阪らしさ」の源流を描き出しながら、現在まで続く日本社会の均質性の問題を照らす試み。
目次
まえがき
序 章 大大阪が隔てる二つの世界
第1章 大阪放送局始末記――「既得権益打破」が生んだもの
1 放送の主導権を奪え!――新旧実業家たちの攻防
2 大電買収事件――大阪放送局の前哨戦
3 日本放送協会へ――そして官僚支配だけが残った
第2章 ラジオが夢見た国民文化――均質な言語空間の創造
1 声の中央集権化
2 BKが夢見た「完璧なコミュニケーション」
第3章 吉本は「大阪的」か?――「大衆」の発見と「大阪」の没落
1 吉本と「大衆」の出会い
2 漫才は「大阪人」のためにあらず
3 漫才のメディア論
第4章 職業野球とタカラヅカ――見世物としての近代
1 阪急文化圏とはいかなる場所か?
2 職業野球の源流――西洋文化と武士道のキメラ
3 見世物か? 教育か?――職業野球と宝塚歌劇の共通性
終 章 文化的であること、放置すること
あとがき
主要参考文

